daisuke fukushi

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ラテン文字
Latin Alphabet

ラテン文字への採用

エトルリア字アルファベットを経由してローマに伝えられたラテン字アルファベット。その数は現在26個の文字記号からなりますが,エトルリア文字の26個すべてがそのまま採り入れられたわけではありませんでした。紀元前7世紀頃,ローマ人はその中から20個の記号を採用します。「A,B,C,D,E,F,H,I,K,L,M,N,O,P,Q,R,S,T,V,X」の20個がエトルリア文字から採用されたあと,前2世紀までの間に,エトルリア文字にはなかった「Y,Z」がギリシア文字から直接借用され,さらに言語上の理由からCに線を加えてつくられた「G」の記号がその中に追加されます。ここまでの段階で採用された記号,または変形を加えて追加された記号を見てみると,その形状はすべて大文字(キャピタル)だけからなっていることがわかります。そうした形状の理由は当時主流だった書字材料(=石)と深く関わっていたものと思われますが,これら23個の文字記号は,のちの帝政ローマ時代初期,前1世紀から後2世紀までの間にその最盛期を迎えるローマ大文字体(ローマン・キャピタル) 1 へと発展していくことになりました。
そして当時はまだ存在しなかった3つの文字記号「J,U,W」は,「J」は I から,「U」と「W」は V からそれぞれつくられ,これでようやく現在の26個からなるラテン字アルファベットが揃うことになります。しかしこの,あとから追加された3つの文字記号の登場は,中世の時代まで待たなければなりません。

都市の発展と課題

古代のローマはその政治体制によって,3つの段階に分けることができますが,ラテン文字がエトルリア文字から引き継がれた前7世紀頃は,建国間もない王政の時代にありました。そして前509年にローマからエトルリア人が追われ,共和政の時代に入るのと同時にイタリア半島を統一。前27年になると,オクタヴィアヌスがアウグストゥス帝となったのを皮切りに帝政の時代が始まります。 この帝政時代は476年まで続きますが,そのうち180年までは五賢帝 2 の時代と呼ばれ,ローマが最も栄えた時代でもありました。そして,それと時を重ねるようにして,ローマ大文字体の完成もまた同じくこの時代に最盛期を迎えます。中でも特に有名なのは,113年に戦勝記念碑として完成した「トラヤヌス帝の碑文」です。この記念碑は当時起こったダキア征討の勝利を記念して,トラヤヌス広場に建てられた記念柱に設置されたもので,そこにはこの皇帝の偉大さを顕示する文面がローマ大文字体によって刻まれています。さらにキリスト教が登場するのもこの時代です。313年のミラノ勅令を受けてローマではすべての宗教が公認されますが,その後コンスタンティヌス帝によってカトリックの優位が認められ,ようやくキリスト教がローマ帝国の正式な国教となりました。
ローマ帝国が版図とした領域は,現代からは想像もつかないほどの広大なものでした。地中海沿岸部全域を始め,西はイギリス,東はトルコまで,現在のヨーロッパの礎を築いたのはまさにローマ帝国といえるでしょう。そして版図を広げた必然として抱える人口も急激に増え,首都のローマだけでも人口150万人の一大都市へと発展していきます。建築においてはギリシアの伝統を引き継いだローマですが,ギリシアの「質」を求める姿勢だけではこの拡大していく大帝国の「量」には応じきれず,「いかに量を可能にするか」 3 がローマ帝国の課題となります。

アーチの普及

そこで,この問題を解決するかのように現れたのが建築材料の変化です。ギリシア建築の大理石だけでは大量の建設事業をまかなうことができず,そこに投入されたのが焼成煉瓦やコンクリートといった新材料でした。また当時の建築物の象徴だった列柱も,より作りやすい形が求められ「ハーフカラム」と呼ばれる付け柱が誕生します。そして最もローマ建築を特徴付ける要素としてあげられるのが「アーチ」の存在です。ギリシア建築の柱と梁による直線的な建築に対して,ローマが加えた新しさともいえるそのアーチは,わずかな量の小さな石片を積み上げることで,より大きなスパンの建築物を可能にした工法であり,当時求められていた大規模建築にも対応しうる唯一の構造体でした。それはギリシアとエトルリア,どちらからの影響なのかわかってはいませんが,前3世紀にはすでに取り入れられていたようです。建築史の上で,アーチが構造体として表立って使われるようになったのは,ローマ建築がはじまりだったといえるでしょう。
古代のローマにおいて,その時代が最も栄えた時期と呼応するように完成を見たローマ大文字体は,その後ローマ大文字草書体やラスティック体,さらにアンシャル体へと,記念碑的で直線的な形状から,手書きによる曲線的な形状へ,徐々に派生していくことになります。そうした変化は日常生活の中で,より早く大量に書くという必要に応えた結果でした。他方,建築の世界に目を向けてみると,都市の拡大という時代の流れの中で「量」に対する課題を克服するため,ギリシア建築の直線からローマ建築の曲線(アーチ)へと,ここでも同じような形状の変化が見られます。こうして見ていくと建築も文字も,古代のローマは似たような課題と出会い,それを似たように克服していくという,ともにその時代に同調していった様子を窺い知ることができます。そうした変化はあとの時代にも現れる,様〻な様式への派生といった変化の中にも見いだすことができそうです。

1|呼び方がいろいろある。記念碑文字や,書字材料の石からとって石碑文字,また四角な字形から方形文字とも。
2|ネルヴァ,トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスの5人の皇帝。
3|藤森 2011,p. 89



Date: 170729

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